小説ア・ラ・カルト 〜季節と気分で選ぶ小説(時々映画)〜

季節と気分に合わせた読書&映画鑑賞の提案

春におすすめ別れの小説③教師編「一房の葡萄」有島武郎・著

それにしてもぼくの大すきなあのいい先生はどこに行かれたでしょう。もう二度とは会えないと知りながら、ぼくは今でもあの先生がいたらなあと思います。秋になるといつでも葡萄の房はむらさきに色付いて美しく粉をふきますけれど、それを受けた大理石のような白い美しい手はどこにも見つかりません。

(角川文庫「 一房の葡萄有島武郎・著 16ページより)

 

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こんにちは。

今年の春はとんでもない幕開けになりましたね。

パンデミック、オーバーシュート、ロックダウン…。まるでSF小説かパニック映画のような信じられない単語が毎日飛び交っています。

そして、影響は人生の節目となる卒業式にも。

 

こんな状況下になってしまいましたが、あらためまして『春におすすめ別れの小説③教師編』として今回ご紹介するのは、有島武郎1878年〜1923年)の『 一房の葡萄』です。

 

こんな状況下だからこそ、かつての恩師に思いを馳せてみたくなりました。皆さんはいかがでしょう。

 

目次

  ①凛とした慈愛

  ②ほろ苦い追想

  • 余談ですが・・・

  ブログ書きながら思い出した先生

 

一房の葡萄』キーワード

横浜山手 

舶来物の絵の具 

生徒 教師

一房の葡萄

 

 

 

 『一房の葡萄』あらすじ

 

主人公のぼくは横浜の山手にある学校の生徒。引っ込み思案で友達がいないが絵を描くのが好き。

ぼくの通う学校は教師のほとんどが外国人で、生徒も日本人と外国人の生徒がいる。

外国人の生徒の一人、ジムは上等な舶来物の絵の具を持っている。ぼくはジムの絵の具が羨ましくて仕方がない。

ある日の昼休憩。教室にひとりぼっちでいたぼくは、ジムの絵の具が欲しくてたまらず藍と洋紅の2色をポケットに入れてしまう。

しかし、すぐにジムや他の生徒に見つかってしまい、担任である女性教師のもとに突き出される。

先生は泣きかかっているぼくをしばらく見守ってから、やがて静かに切り出すー。

 

一房の葡萄 他四篇 (岩波文庫)

一房の葡萄 他四篇 (岩波文庫)

  • 作者:有島 武郎
  • 発売日: 1988/12/16
  • メディア: 文庫
 

 

 

 

 

味わいポイント

①凛とした慈愛

 

皆さんにとっての「あの先生、いい先生だったな」という先生はどんな先生でしょうか。熱血先生、厳しい先生から優しい先生、フランクな先生、面白い先生、生真面目な先生・・・。きっと十人十色だと思いますが、本作の先生を一言で表せばまさに『凛とした慈愛』がピッタリな気がします。

 

この先生の言動描写で繰り返し出てくるのが『静かに』というものです。

ジムたちによって自分のもとに突き出されたぼくを、先生はしばらく見つめた後、

やがて生徒たちに向かって静かに「もういってもようございます」といって、みんなをかえしてしまわれました。(11ページより)

 

ジムたちを帰した後、先生はしばらく何も言わずぼくの方を見ずにじっとしていますが、

やがて静かに立って来て、(略)

「絵の具はもう返しましたか」と小さな声でおっしゃいました。

 

「あなたは自分のしたことをいやなことだったと思っていますか」

もう一度そう先生が静かにおっしゃった時には、ぼくはもうたまりませんでした。

(11ページより)

 

この問いかけに、とうとう声を上げて泣き出したぼくに先生は、よくわかったらもう泣かなくてもよろしい、次の授業は出なくてよろしいからこの部屋で静かにしていらっしゃい、とぼくに言いつけます。そして

つくえの上の書物を取り上げて、ぼくの方を見ていられましたが、二階の窓まで高くはい上がった葡萄蔓から、一房の西洋葡萄をもぎとって、しくしくと泣きつづけていたぼくのひざの上にそれをおいて、静かに部屋を出て行きなさいました。(12ページより)

 

このわずか2ページの間に、これほど多くの「静かに」が使われています。ジムたちの話しをじっと聞き、ぼくの様子をじっと見つめ、質すところだけ質す。その姿は凛とした静かな威厳に満ちています。

 

凛とした威厳だけでなく、本作の先生は深い慈愛に満ちた先生でもあります。

質すことを質した後は、それ以上詰問する事なく自分の部屋で静かに過ごすよう言いつけてぼくを一人にします。これは一人にして自省を促す以上に、教室に居づらいであろうぼくの心情を慮っての事でしょう。励ましの意の一房の葡萄を添えて…。

 

そして授業を終え戻ってきた先生は、明日はどんな事があっても学校に来なくてはなりませんよ、あなたの顔を見ないと私は悲しく思いますよ、と言ってぼくを帰します。どこまでもぼくの心情に寄り添うと同時に、ちょっとした試練でもあるこの言葉。やはり深い慈愛と凛とした威厳を感じます。

 

②ほろ苦い追想

翌日、何とか勇気を出して先生との約束を守り登校したぼくは、ジムの予想外の行動にとても驚くことになります。ぼく、ジム、先生の3者の顛末については是非本編でご確認下さい。その際に再び一房の葡萄が出てきますが、前日の葡萄が励ましの意ならこの場面の葡萄は「祝福」の意でしょうか。

 

実はこの物語、ぼくと先生との別れの場面は一切描かれていません。

しかし、物語の最後がブログ冒頭に紹介したこちら。

それにしてもぼくの大すきなあのいい先生はどこに行かれたでしょう。もう二度とは会えないと知りながら、ぼくは今でもあの先生がいたらなあと思います。秋になるといつでも葡萄の房はむらさきに色付いて美しく粉をふきますけれど、それを受けた大理石のような白い美しい手はどこにも見つかりません。

 

既に過ぎ去った過去の事として、追想する言葉で締めくくられています。

『大理石のような白い美しい手』という事から、やはり外国人の先生だった事が分かります。国に帰ってしまったのか、どこにいるかぼくにはもう分からないのです。おそらく2度と会えないでしょう。

 

教師と生徒。共に過ごす日々はやがて終わるのが宿命です。どんなに楽しくても嬉しくても励まされても諭されても叱られても。

 

直接に別れの場面を描くのではなく、最後にこれまでの場面を追想として締めくくる事で、もう2度と戻らぬ日々である事とそのほろ苦さが一層際立ちます。

 

 

ということで今回は『春におすすめ別れの小説③教師編』として有島武郎一房の葡萄をご紹介しました。

 

教師と生徒って、思えば不思議な関係ですね。在学時は毎日いっしょにいるのが当たり前ですが、最初から明確な時限が分かっている関係でもある。そしてその時が来れば、“当たり前”が当たり前ではなくなる。過ぎ去っていく。ちょっと他の関係には無いほろ苦さがありますね。

 

ブログ主は卒業後に再会を果たした先生が何人かいます。しかし大半の先生とは卒業後から今に至るまで一度も会っておらず、今後ももう会う事は無いでしょう。でも、幼稚園から大学までの先生との思い出は今も胸の中にあります。

 

こんな時ですが、否こんな時だからこそ、是非「 一房の葡萄」を手に取ってみてはいかがでしょう。そして各々の「先生」を思い返してみるのもいいかも知れません。

 

 

余談ですが・・・

ブログ書きながら思い出した先生

 

今回は「余談ですが・・・」を書くつもりはなかったのですが、ブログを書いていて急に思い出した「先生」がいたので、つい書きたくなってしまいました。

 

「先生」と言ってもいわゆる学校の先生ではありません。先生というより「お師匠さん」です。

ブログ主は高校時代、筝曲部に所属していました。顧問の先生は学内の先生でしたが、箏は弾けないので実際の指導は学外の箏のお師匠さんを雇っていました。

 

弾いてみたくて興味津々で入部したはずだったのに、最初の頃はまったくうまく弾けず、正直しばらくは辛い日々でした。お師匠さんは決してキツいタイプの先生ではなかったのですが、すぐにほめるタイプの先生でもありませんでした。ここあそこと細かい指摘をして鍛える、そういう意味では厳しいお師匠さんでした。

 

それでも部活外の日にもこっそり自主練したり、努力で何とかしました。1年経つ頃には舞台で2番手に押し出してもらえるくらいにはなりました。箏を弾くのが大好きになりました。でも、1番手にはなれませんでした。舞台で1番前に出て演奏するという事は当然、観客の耳に一番近いところで演奏するので、綺麗な音色を出せる人が選ばれます(少なくともウチの筝曲部では伝統的にそうでした)。執着や嫉妬心が薄いブログ主は1番手では無い事については特段なんとも思っていませんでした。しかし、1番手以外は十把一絡げくらいに思っていたので、自分がいつも2番手である意味ってあるのかなとは思っていました。

 

舞台が近いある日、お師匠さんに言われた言葉が今も心に残っています。

「あなたは特別に綺麗な音色が出せるタイプではない。でも、あなたはリズムや強弱に狂いがまったく無い。舞台に上がるとみんなどうしても緊張から狂いが出るけど、あなたは練習の時とまったく同じように弾ける。だから、1番手の子の後ろについて、後ろからあなたの音でサポートしてあげて欲しい。同時にあなたの後手の子たちのリズムが乱れたら、あなたの音で引っ張ってあげて欲しい。だから2番手に据えている。」

 

そして、3年生になって最後の舞台の後に

「最初の頃は正直、とても心配しました。よくここまで上手になりましたね。」と、褒めて下さいました。

 

ブログを書いていたら、急にこのお師匠さんのことを思い出して、つい「余談ですが」を書いてしまいました。たしか、ブログ主の住む街からさほど遠くない場所で筝曲教室をしている方だったはず。今もまだ箏のお師匠さんをやっていらっしゃるのだろうか。

 

高校時代に使ってた箏の爪。「たしかあったよな」と探したら出てきた。

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 卒業する時、お師匠さんがくれたお手製の小物入れ。卒業後、しばらく使っていましたが、くたびれてきたので惜しんで仕舞い込んでいました。「たしかあったよな(2回目)」⇒ありました

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