小説ア・ラ・カルト 〜季節と気分で選ぶ小説(時々映画)〜

季節と気分に合わせた読書&映画鑑賞の提案

海鳴りと松風、月さやかな夜道、三味線弾きの女姿・・・。「母を恋うる記」谷崎潤一郎・著

母の懐には甘い乳房の匂が暖かく籠っていた。

・・・・・・・・・

が、依然として月の光と波の音とが身に沁み渡る。新内の流しが聞こえる。二人の頬には未だに涙が止めどなく流れている。

私はふと眼を覚ました。

新潮文庫「刺青・秘密」谷崎潤一郎 著 243頁より)

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どうも。最近、近所の和菓子屋さんの良さに遅れ馳せながら気づいて、先日の十五夜には月見団子を予約してしまったブログ主です🎑 

 

十五夜も過ぎて、やっと真夏の暑さから解放されてきました。皆さんの地域はどうでしょうか。もう猛暑日の所は無いのかな?

 

十五夜の話も出た通り、九月は十五夜、十月は十三夜。秋は月がきれいな季節ですね🌝

という事で、月が印象的なこちらの小説はいかがでしょうか。

ご紹介する小説は谷崎潤一郎の「母を恋うる記」です。新潮文庫の谷崎短編集「刺青(しせい)・秘密」に収録されている短編です。

  

 

 目次 

 

  •  「母を恋うる記」キーワード
  • 味わいポイント

  ①全き理想美の夢

  ②微かな倒錯

  • 余談ですが・・・

 

 

 

 

 

「母を恋うる記」キーワード

 

幼子  月 海 街道 磯馴松(そなれまつ) 海鳴り 松風 三味線 

新内流しの女 

“天ぷら喰いたい” 

 

  

 あらすじ

 

谷崎潤一郎1886年〜1965年)の自伝風幻想小説

私(潤一)は夢の中で7、8歳ほどの幼子に戻り、夜の街道を一人で歩いている。左手には夜の海と海を照らす銀色の月光が広がり、磯馴松(そなれまつ)と電柱が行く道に沿ってどこまでも続いている。私は海鳴りと松風の中、月光の下、心細い幼心を抱えてひたすら歩いている。

やっとの思いで灯りの点った人家を見つけるも、追い出されてしまう。

再び歩き出した私の耳に、どこからともなく途切れ途切れに三味線の音が聞こえてくる。「天ぷら喰いたい、天ぷら喰いたい」ー。まだ乳母が居た頃、乳母が私を寝かしつけながら夜の往来に聞こえる新内語りの三味線の音を「天ぷら喰いたい、天ぷら喰いたい」と表現していた・・・。

やがて、前を行く三味線弾きの女姿が見えてくる。月明かりの下、波の音を伴奏に女の冴えた撥さばきや白いうなじがはっきりと見えるところまで近づいたが、女はこちらを振り向かない。意を決して私は女の前に回り顔をのぞきこむ・・・。

 

刺青・秘密 (新潮文庫)

刺青・秘密 (新潮文庫)

 

 

 

味わいポイント

 

 ①全き理想美の夢

 

「美しいな」と感じるシチュエーションは十人十色だと思いますが、中には万人受けするものもあるかと思います。この小説の描写が、まさにそうではないかと思います。

 

「ああ月だ月だ、海の面に月が出たのだ」

私は直ぐとそう思った。ちょうど正面の松林が疎らになって、窓の如く隙間を作っている向こうから、その冴え返った銀光がピカピカと、練絹のように輝いている。

(本文272頁より)

 

反射の光は魚鱗の如く細々と打ち砕かれ、さざれ波のうねりの間にちらちらと交り込みながら、汀の砂浜までしめやかに寄せて来る。

(本文274頁より)

 

遠くを這っている時はうすい白繻子を展べたように見えるが、近くに寄せて来る時は一二寸の厚みを持って、湯に溶けたシャボンの如くに盛上っている。月はその一二寸の盛上りに対してさえも、ちゃんと正直にその波の影を砂地へ写して見せている。実際こんな月夜には、一本の針だって影を写さずにはいないだろう。

(本文277頁より)

 

どうしたのか、女はふと立ち止まって、俯向いていた顔を擡(もた)げて、大空の月を仰いだ。暗い笠の影の中でほの白く匂っていた頬は、その時急にあの沖合の海の潮の如く銀光を放つかと疑われた。

(本文286頁より)

 まるで映画のワンシーンの様な、あるいは構図の素晴らしい水墨画の様な、視覚に訴える理想美

 

しかし、本作の美しさは視覚に訴えるのみではありません。ちょっと他の作品では見かけないほど、本作は聴覚にも訴えてくるのです。

すると、そのうちに左の松原の向こうの遠いところから、ど、ど、どどんーと云うほんとうの海の音が聞こえて来た。あれこそたしかに波の音だ。海が鳴って居るのだ、と私は思った。その海の音は、離れた台所で石臼を挽くように、微かではあるが重苦しく、力強く、殷々と轟いて居るのである。(本文261頁より)

 

その時風はぴったりと止んで、あれほどざわざわと鳴っていた松の枝も響きを立てない。渚に寄せて来る波までがこの月夜の静寂を破ってはならないと力(つと)めるかの如く、かすかな、遠慮がちな、囁くような音を聞かせているばかりである。それは例えば女の忍び泣きのような、蟹が甲羅の隙間からぶつぶつと吹く泡のような、消え入るようにかすかではあるが、綿々として尽きることを知らない、長い悲しい声に聞こえる。

(本文274頁より)

 

そして、 数ある「聴覚的描写」の中でも、特に秀逸なのが「天ぷら喰いたい」と表現する三味線の音

風の具合でちらりと聞こえたり聞こえなかったりする様は、

「天ぷら・・・・・・・天ぷら喰いたい。・・・・・・・・喰いたい。天ぷら・・・・・・・・・天ぷら・・・・・・・・・天・・・・・・・・・喰い・・・・・・・・ぷら喰い・・・・・・・・」

果てはこんな風にぽつりぽつりとぼやけてしまう

(本文278頁より)

 それが少しずつ近づいてくる様は、

初めのうちは「天ぷら・・・・・・・・天ぷら・・・・・・・・・」と、「天ぷら」の部分ばかりが明瞭であったが、少しづつ近づいて来るのであろう、やがて「喰いたい」の部分の方も正しく聞き取れるようになった。

(本文279頁より)

 そして、はっきりと聞こえるほどになった様は、

「天ぷら喰いたい、天ぷら喰いたい」

今やその三味線の音は間近くはっきりと聞こえている。さらさらと砂(いさご)を洗う波の音の伴奏に連れて、冴えた撥のさばきが泉の涓滴(けんてき)のように、銀の鈴のように、神々しく私の胸に沁み入るのである。(本文280頁より)

 

夢とは思えないほど、否、夢であればこそ、この世のものとは思えない絵巻物の様な美しい世界が繰り広げられます。

 

 

②微かな倒錯

 

と、ずっと本作の美しさを滔々と述べてきましたが、そこはやはり谷崎の作。微かな倒錯を匂わせる作品でもあります。

 

ここまでずっと、絵巻物の中の様に美しい月夜の街道を孤独に辿ってきた潤一少年ですが、新内流しの女と出会い、幼心に「狐か、さもなくば般若のような形相で突然振り返るのではないか」とおっかなびっくり女の近くへ寄って横顔を覗き込みます。

・・・ふっくらとした頬の線が見えた瞬間から、幼いはずの潤一少年が、その女にある期待を抱くのです。自分が理想とする美しい女であってくれれば、という幼子にしてはあまりに成熟しすぎた期待を。そして、女の顔の全容が分かった瞬間には、

私はほんとうにうれしかった。…私の想像したよりも遥かに見事な、絵に画いたように完全な美しさを持っていることが明らかになった時、私のうれしさはどんなであったろう。

(本文284頁より)

と、己が理想とする女性美への強い執着が感じられます。この後も、女の化粧した白い肌や、そこを流れ落ちる“月の涙”が繰り返し描かれます。

やがてこの女の正体が分かるのですが、理想とする女性美をこの人物に見出すというのは、常人からすればなかなかの倒錯ぶりでしょう。

一方で、ラスト7行で潤一がなぜこの様な夢を見ていたかが分かるのですが、その切なさは、夢から覚めた現実味に満ちています。

 

 

 

 

月が美しい秋の夜長のお供に是非、谷崎潤一郎の「母を恋うる記」いかがでしょうか。

 

 

 

 余談ですが・・・

 

 紹介しておいて何ですが、実は谷崎は苦手意識の強い作家でした。センセーショナルな作家、という固定概念が拭い去れなかったのです。実際、この「母を恋うる記」が収録されている新潮文庫の「刺青・秘密」も、収録されている7編のうち、4編は「うう、やっぱり苦手だ・・・。」となりました。

しかし、自分でも驚いたことに、残りの3編はとても気に入ったのです。同じ作家が書いたとは思えないほど、4編は「汚濁」を真っ向から描き、3編は「清澄」な雰囲気でした。(ある意味、どちらも味わえるという点では、この新潮文庫版は美味しいかも)

後々調べてみると、谷崎の魅力は「作風や題材が様々に変遷」「作品ごとにがらりと変わる巧みな語り口」との事。やはり清濁あわせ持った作家であり、そこが魅力という事なのでしょうか。 

 

 

 

 

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